リス族の子供達

さくらプロジェクト活動内容

さくらプロジェクト1990年代

1990年 さくらプロジェクト発足前の活動


1986年1月  三輪隆初訪タイ、これ以後タイ北部での取材、調査活動がメインとなる。

1990年9月 三輪隆他執筆・撮影による「地球の歩き方フロンティア タイ北部山岳民族を訪ねて」(ダイヤモンド社)発刊される。この一冊のガイドブックが当時、建築人類学の観点からタイ山岳民族の集落の生成に関心を寄せていた芝浦工業大学建築工学科の畑教授と三輪を結びつける機縁になる。

1990年11月 芝浦工業大学建築工学科の畑聰一教授、写真家の北田英治氏および学生数名がチェンラーイ県山地民の住居調査のため、初めてチェンラーイを訪れ、三輪を案内人としてアカ族メーモン村などの集落調査を実施。その際、三輪と畑教授のあいだでタイ山地民の子どもたちへの教育支援の可能性について話し合われる。

1990年12月 三輪隆、畑聰一助教授(当時)が東京・芝浦で会談し、三輪隆を代表に、畑聰一助教授を日本事務局長としてタイ山地民の子どもたちへの教育支援NGO組織(生徒寮の建設と運営)を発足させることで合意。寮建設の資金は、同じ頃チェンラーイの三輪のもとを訪ねてきた、東京の中村清彌氏(故人・当時株式会社日新工業社長)が提供を申し出る。中村氏は当時すでに在タイのミャンマー難民支援をはじめており、タイ北部に新たな支援の場を模索していた。

1991年3月1日 チェンラーイ県ムアン郡リムコック区ナムラット村403番地のユナイテッド・ヴィレッジ・スクールに隣接するヨハン・チェムー氏(アカ族)宅の敷地内で山岳民族の子ども達のための学生寮の建設工事が始まる。畑教授をはじめ、三輪、志賀宏、山崎久勇、芝浦工業大学建築工学科畑研究室の学生および岩崎学園の学生ら約20名も参加。当時ヨハン・チェムー氏はこのプロジェクトに賛同し、無償での土地提供を申し出た。


炎天下の中

炎天下の中

柱を立てる

柱を立てる


1991年3月 約1年かけての入寮生調査がスタート。三輪と日本人ボランティア小原靖弘がチェンラーイ県、チェンマイ県、パヤオ県、ナーン県、メーホンソン県など100以上の村で6民族1500名以上の生徒を調査する。

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1991年度   8名の寮生でスタート、寮建設開始!


1991年度(タイ歴2534年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ヨハン・チェムー(コーディネーター)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
清水郁郎(ボランティア)
寮生8名

1991年4月 畑聰一、三輪隆、志賀宏、清水郁郎、ヨハン・チェムー氏ほか芝浦工大の学生らが寮建設中のナムラット村にて会議。この教育支援プロジェクトを「さくらプロジェクト」と命名、建設中の寮もその名前をとって「さくら寮」と名づけることに決定。

1991年5月 前年よりヨハン氏の敷地内の仮設宿舎に寄宿し、さくらプロジェクトとして援助することが決まっていた8名のアカ族の子どもたちが、第一期さくら寮生して生活をはじめる。


最初の8名の寮生

さくら寮生第0期生、最初の8名


立ったまま食事

なぜか立ったまま食事をしていた。


1991年6月1日 タイ山地民の子どもたちのための教育支援活動。タイ山地民の保健医療・福祉・厚生・人権のための援助活動。タイ山地民の文化・社会の調査・研究・保護活動。タイ山地民とタイ人、日本人の相互文化交流活動などを設立の目的にかかげ、さくらプロジェクトが正式に設立される。
1991年6月15日 さくらプロジェクトの活動を報告するさくら通信第1号が発行される。
同時に東京・芝浦工業大学芝浦校舎において、さくらプロジェクトの活動内容報告、タイ山地民の現況など、畑と三輪の講演を中心とした「第1回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が開催される。
1991年8月 再び芝浦工業大学建築工学科畑研究室の学生、岩崎学園の学生、そして杉野女子大学の学生ら約30名がボランティアとしてさくら寮の建設工事に参加する。

1991年9月 チェンラーイ県メースアイ郡一帯で雨期の集中豪雨による大洪水が発生。特に被害の大きかったトンプラオ村には、さくらプロジェクトとして救援活動に参加。古着、生活用品などを配布する。
1991年10月22日 さくら通信第2号発行。同時に東京・芝浦工業大学にて「第2回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が開催される。
1992年3月 さくら寮完成。総工費608409バーツ(約350万円)。



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1992年度   さくら寮開寮

1992年度(タイ歴2535年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ヨハン・チェムー(寮長)
アミ・チェゴン(寮母)
セレ・チェムー(寮母)
カニカー・カンプラスク(寮母)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
西村美紀(ボランティア)
安達英信(ボランティア)
さくら寮生58名


さくら寮

さくら寮の前で

1992年4月6日 さくら通信第3号発行。
1992年5月11日 さくらプロジェクト・タイ・スタッフによる初めてのミーティングが開かれる。一部の寮生が入寮開始。
1992年5月12日 さくら寮入寮日。この日よりフリーのテレビディレクター、瀬川正仁氏によるテレビ東京のドキュメンタリー番組製作のための取材が始まる。
1992年5月16日 午前9時半より、さくら寮の開寮式。ユナイテッド・ヴィレッジ・スクールのプラパン理事長、ウィチャイ校長、ナムラット村村長、そして寮建設資金提供者の中村清彌氏、21世紀農場の谷口巳三郎氏、リス生徒寮の中野穂積氏らを招いてさくら寮前でおこなわれる。幼稚園児から高校生まで58人がさくら寮のメンバーとなる。
1992年6月11日 テレビ東京系列にてさくら寮の開寮までを追った番組「さくら寮INタイ」(ディレクター・瀬川正仁氏、スポンサー・東京都)が放映される。
1992年6月19日 さくら通信第4号発行。東京・芝浦工業大学にて「第3回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1992年7月 さくら寮の二つ目の寄宿施設をユナイテッド・ヴィレッジ・スクールの敷地内に建設する許可が学校からえられ、第2さくら寮(すみれ寮と命名)建設計画がスタートする。芝浦工業大学建築工学科大学院生木村剛士を中心に同大学大学院卒業生の清水郁郎、現地カレン族の建築士の3人によってすみれ寮の設計図が書かれる。
1992年10月9日 東京で「里親の会」開催。
1992年10月30日 さくら通信第5号発行。東京・芝浦工業大学にて「第4回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1992年11月 すみれ寮設計のため1992年12月 有償ボランティアとして里親である高沢安喜さんが東京事務局の事務の仕事を受け持つ。
1992年12月3日 東京西北ロータリークラブの資金援助によるすみれ寮建設工事が始まる。
1992年12月20日 日本人中野穂積さんが運営するチェンラーイ県メースアイ郡の山地民学生寮「リス生徒寮」とのスポーツ交流大会をチェンラーイ県メースアイ郡のリス生徒寮で開催。
1993年3月6日 さくら寮で初めての入寮生選抜試験実施。35名の合格枠をめぐり、書類選考で選ばれた110名の子どもたちが受験。(以後,毎年月に入寮選考会を実施)

さくら寮

初代さくら寮


さくら寮の食堂

初代さくら寮の食堂


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1993年度   すみれ館開寮


さくら寮

すみれ館開寮


1993年度(タイ歴2536年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ヨハン・チェムー(寮長)
アミ・チェゴン(寮母)
セレ・チェムー(寮母)
ナコーイ(ジュリラット)・バンブー(寮母)
ジョイ・ロンチャイカム(寮母)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
清水郁郎(ボランティア)
安達英信(ボランティア)
さくら寮生86名

1993年4月1日 さくら通信第6号発行。
1993年4月 すみれ館完成。総工費約1300000バーツ。
1993年4月 郵政省に国際ボランティア貯金寄付金の交付を申請する。
1993年5月18日 夕方より学校関係者、地元住民を招き、すみれ寮開寮セレモニーがおこなわれる。さくら寮は男子寮、すみれ寮は女子寮として使用することになる。
1993年6月21日 郵政省より「山岳民族の子どものための寄宿舎建設、運営」にたいしての国際ボランティア貯金寄付金の交付先に選ばれ、郵政省(当時)でおこなわれた通知式で郵政大臣による配分決定通知書を交付される。配分金総額7695000円。(うち、ひまわり寮建設工事費675万円、寄宿舎備品購入費945000円)

1993年7月1日 さくら通信第7号発行。
1993年7月3日 「第5回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」および第2回里親会が芝浦工業大学で開催される。
1993年10月6日 国際ボランティア貯金の交付対象団体に選ばれたさくらプロジェクトの活動内容とタイ山地民の生活を写した写真数点が東京高輪郵便局で展示される。(11月1日まで)
1993年10月 30日 さくら通信第8号発行。芝浦工業大学にて「第6回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1994年2月1日 三輪隆、プラパン・タサニヤコーン氏(ユナイテッド・ヴィレッジ・スクール理事長)、建築工事実施業者の3者でひまわり寮建設工事に関する契約書に調印。
1994年2月2日 ひまわり寮建設工事始まる。
1994年2月24日 チェンラーイ県にあるアカ族の村メーモン村で村の家屋、家畜のほとんどが焼失する大火災が発生。同日、さくらプロジェクトから小原靖弘が現地を視察。米、古着などの配給支援の準備を開始。
1994年2月25日 三輪およびさくらプロジェクト・タイ スタッフのジュリラット・パンブー、芝浦工業大学建築工学科大学院生の神田淳、さくら寮の寮生2人がメーモン村への救援物資を届けるため車をチャーターし、米約1.5トンを積みメーモン村に向かい、山地民福祉局を通じて、村人たちに配布、支給する。
1994年3月7日 三輪、ジュリラット・パンブー、小原靖弘の3名がジャトーブー村に出向き、ジャトーブー村地域の管轄であるルアミット村小学校校長とジャトーブー村における小学校分室設置問題について懇談。
1994年3月20日 さくらプロジェクトが20000バーツの資金援助をし、木材、竹、茅などを用い、村人たちによってジャトーブー村に校舎の建設が始まる。
1994年3月25日 郵政省貯金局・国際ボランティア貯金推進室の小林良和氏がひまわり寮建設現場を視察。

ひまわり寮

郵政省ひまわり館進捗状況を視察

1994年3月31日 ルアミット村小学校ジャトーブー村分室完成。

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1994年度   ひまわり館開寮、ジャトーブー村小学校支援開始


ひまわり館
ひまわり館

1994年度(タイ歴2537年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
アミ・チェゴン(寮長)
ナコーイ(ジュリラット)・バンブー(寮母)
ジョイ・ロンチャイカム(寮母)
ナド・ヤパー(寮母)
センサク・アイ(ジャトーブー村小学校教員)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
清水郁郎(ボランティア)
中野学(ボランティア)
さくら寮生97名

1994年4月1日 さくら通信第9号発行。
1994年4月20日 アカ族のセンサック・アイを常勤の教員、さくらプロジェクト・タイのスタッフでもあるラフ族のジュリラット・パンブーを非常勤の教員兼小学校の責任者とし、ルアミット村小学校ジャトーブー村分室に派遣することを決定する。
1994年4月 ひまわり寮完成。総工費約1500000バーツ(675万円)。
1994年4月 郵政省に国際ボランティア貯金寄付金の交付2件を申請。
1994年5月 さくらプロジェクト元スタッフのヨハン・チェムー氏にさくら寮の施設が譲渡される。ヨハン氏はさくらプロジェクトを離れ、独自に寮運営をすることになる。初代さくら寮の施設はのちに「若竹寮」と改名される。
1994年5月 ひまわり寮がオープンし、旧さくら寮の男子生徒がすべてひまわり寮に移る。新年度の寮生は97名に。
1994年5月10日 チェンラーイ県社会福祉局とチェンラーイ県メーチャン郡にある山地民福祉局からジャトーブー村小学校がルアミット村小学校分教室としての認可を受ける。
1994年6月20日 ジャトーブー村小学校開校。生徒数は46名。

ジャトーブー小学校建設中
建設中のジャトーブー村小学校

1994年6月 郵政省国際ボランティア貯金寄付金申請分2件のうち、チェンラーイ県ジャトーブー村における小学校の建設及び運営に関する1件の申請が認められ、運営資金が郵政省より配分される。配分金総額740000円(うち、教育費274000円、教員人件費493000円)
1994年7月1日 さくら通信第10号発行。東京・芝浦工業大学にて「第7回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1994年7月9日 里親の谷正直氏が経営する奈良市内のペンション「奈良倶楽部」にて関西在住の支援者を対象に三輪隆の講演会とさくらプロジェクトの報告会。
1995年1月 阪神大震災発生。ボランティアでさくら寮に滞在中の中野学の実家が被災。
1995年2月 三輪、テレビ朝日「ネイチャリング・スペシャル」のタイ・ロケのコーディネーターとしてチェンラーイ県のホイサン村、ナーン県などに同行。リス族、ムラブリ族の集落で通訳を行なう。
1995年3月 中野学、1年間の体験ボランティア生活を終えて帰国。


ジャトーブー小学校
ジャトーブー村小学校


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1995年度   郵政省視察団来訪

1995年度(タイ歴2538年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
アミ・チェゴン(寮長)
ナコーイ(ジュリラット)・バンブー(寮母)
ジョイ・ロンチャイカム(寮母)
ナヘ・ジャヘラー(ジャトーブー村小学校教員 ただし年度途中で退職)
シティチャイ・ジャヘラー(ジャトーブー村小学校教員 ただし年度途中で退職)
ガイ(ブアパン)・アイチャー(寮母ただし年度途中よりジャトーブー村小学校教員)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
さくら寮生99名


1995年4月 郵政省に国際ボランティア貯金寄付金申請。
1995年6月 郵政省国際ボランティア貯金寄付金申請が認められ、ジャトーブー村小学校運営費として資金が配分される。配分金総額71500円(うち、教育費123000円、給食費100000円、教員人件費372000円)
1995年6月24日 さくら通信第11号発行。東京・芝浦工業大学において「第8回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1995年6月30日 滋賀県大津市の田上中学校で三輪がさくらプロジェクトの紹介をテーマにした講演会を開催。
1995年7月1日 滋賀県大津市の西光寺で、関西の里親、支援者を対象とした三輪の報告会、講演会が開催される。
1995年8月 ジャトーブー村小学校台所建設開始。
1995年8月6日 チェンラーイ県メーチャン郡にある山地民福祉局の研修所で山地民の女性たちによって縫製された学生服をさくらプロジェクトで買い取り、ルアミット村小学校ジャトーブー村分室の生徒に配布。
1995年8月24日 ジャトーブー村分室の給食室完成。
1995年9月1日 ルアミット村小学校ジャトーブー村分室で子どもたちへの昼の給食支援開始。

ジャトーブー小学校ガイさん
ジャトーブー村小学校教員のガイさん

1995年11月12日~13日 郵政省貯金局、NGO活動推進センター、そして預金者を代表する自治体首長からなる郵政省ボランティア貯金援助プロジェクト視察団がチェンラーイのさくらプロジェクトを訪問。チェンラーイにあるひまわり寮、すみれ寮およびルアミット村小学校ジャトーブー村分室などを視察。
1995年11月26日 ユナイテッド・ヴィレッジ・スクールのグランドで周辺の6つの山地民学生寮対抗球技大会が開かれ、さくらプロジェクトが総合優勝。
1995年12月3日 さくらプロジェクト生徒寮とリス生徒寮との親善スポーツ大会がユナイテッド・ヴィレッジ・スクールのグラウンドでおこなわれる。
1996年 1月 チェンマイ県メーアイ郡にあるラフ族のドイレム村への水道敷設計画がまとまる。
1996年2月1日 さくら通信第12号発行。
1996年3月 さくらプロジェクト中学3年卒寮生20名がバンコク、サメット島へ卒寮旅行。バンコク在住の里親、白子富三郎さんも同行。(白子さんは1997年8月、バンコクにて逝去される)


ジャトーブー小学校教室
ジャトーブー小学校の教室

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1996年度   ホイメリアム小学校支援開始、ドイレム村に水道設備


ホイメリアム小学校パラン寮の子ども達

ホイメリアム小学校パラン寮の子どもたち

1996年度(タイ歴2539年)さくらプロジェクト・タイ・スタッフ
アミ・チェゴン(寮長 ただし5月をもって退職)
ジュリラット・パンブー(アミの退職後、5月より寮長を引き継ぐ)
ジョイ・ロンチャイカム(寮母)
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
クリヤンカイ・サムケオ(運転手)
アロン・ゲイサン(ジャトーブー村小学校教員 ただし途中退職)
ヨーン・プラブン(ジャトーブー村小学校教員 ただし途中退職)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
さくら寮生93名
1996年4月 郵政省に国際ボランティア貯金寄付金3件を申請。
1996年5月 東京西北ロータリークラブから施設建設資金が寄付され、山地民の文化を記録、紹介し、同時に交流を目的とする施設「文化交流会館」の建設計画が決定。
1996年5月 チェンラーイ県ムアン郡ホイチョンプー地区ホイメリアム村小中学校に隣接するラフ族寮(パラン寮)に朝、夕食費、生活用品援助を開始
1996年6月 郵政省国際ボランティア貯金寄付金申請分3件の配分が決定する。配分金総額1500000円。内訳は1.ジャトーブー村小学校運営費(校舎修繕費53000円、教員宿舎修繕費38000円、教育費219000円、教員人件費453000円)2.ドイレム村簡易水道建設プロジェクト(306000円)、3.ホイメリアム村小中学校生徒寮への支援プロジェクト(給食費183000円、教材費64000円、医療費8000円、寄宿舎維持費13000円)

1996年6月28日 さくら通信第13号発行。東京・芝浦工業大学にて「第9回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1996年8月 ナムラット村に交流会館建設のための土地を800000バーツで購入する。約900平方メートル。芝浦工業大学建築工学科大学院生鳥越一成が交流会館設計のため来タイ、三輪と打ち合わせ。
1996年10月5日 チェンマイ県メーアイ郡ドイレム村にて水道工事開始。
1996年10月14日 ドイレム村水道工事貯水タンク完成。
1996年10月14日 深夜、さくらプロジェクト・タイの寮長であるジュリラット・パンブーが三輪とともに12日間の日程で日本研修旅行に。東京、大阪、奈良、岐阜などに滞在。
1996年10月19日 訪日中のジュリラット・パンブーを囲んで、大阪で「里親の会」開催。
1996年10月21日 里親の谷正直さん経営のペンション「奈良倶楽部」にて、関西在住の里親が中心になり、ジュリラット・パンブーの歓迎会およびさくらプロジェクトの報告会。
1996年10月26日 さくら通信第14号発行。さくらプロジェクト・タイのジュリラット・パンブーの訪日に合わせて東京・芝浦工業大学にて「第10回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。三輪と芝浦工業大学建築工学科大学院生鳥越一成、交流会館基本計画案について打ち合わせ。
1997年1月11日 ドイレム村水道工事完成セレモニーがおこなわれる。これ以後水道にかんするメンテナンスは村民の自主管理となり、ドイレム村水道援助プロジェクトは完了する。

ドイレム村水道管工事
ドイレム村水道管敷設工事

ドイレム村貯水タンク敷設工事
ドイレム村貯水タンク敷設工事
1997年2月 テレビ東京「ドキュメンタリー人間劇場」の撮影スタッフが、さくらプロジェクトの寮を題材にしたドキュメンタリー番組を制作するために約2週間にわたってさくら寮を取材する。
1997年3月 交流会館建築工事業者決定し、契約調印。建築工事が始まる。

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1997年度   文化交流会館完成


 文化交流会館

文化交流会館

1997年度(タイ歴2540年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ジュリラット・パンブー(寮長)
ジョイ・ロンチャイカム(寮母)
ガイ・(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
クリヤンカイ・サムケオ(運転手)
三輪隆(ボランティア)
さくら寮生104名
1997年4月 郵政省に国際ボランティア貯金寄付金申請。
1997年4月 22日~26日 ホイメリアム村小中学校内で新寄宿舎の建設開始。パラン村、ティセ村、ジャハ村、ハジャオ村、ゲルアン村の父兄たちが集まり、竹と茅を用いて男女別棟の寄宿舎が完成。同時に炊事小屋、食堂も改築される。
1997年4月23日 テレビ東京「ドキュメンタリー人間劇場」で三輪およびさくら寮を取材したドキュメント番組『忘れないで 心の歌を』が放送される。翌日から日本事務局への里親申し込み、問い合わせ電話が殺到する。
1997年5月 畑聰一教授訪タイ、交流会館建設現場を視察。
1997年6月 ジャトーブー村小学校運営資金、ホイメリアム村小中学校パラン寮運営資金として郵政省国際ボランティア貯金寄付金が配分される。配分総額は2020000円。内訳は1、ルアミット村小学校ジャトーブー村分教室への支援(教員寄宿舎増築費87000円、教育費205000円、給食費209000円、教育人件費509000円)2、ホイメリアム村小中学校パラン寮運営費の支援(給食費354000円、教材費99000円、生活用品費、医療費9000円、寮母意人件費48000円、寄宿舎増築費436000円)。

1997年6月28日 さくら通信第15号発行。東京・芝浦工業大学にて「第11回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1997年8月 里親の三枝紀雄様・令子様ご夫妻来寮。ご厚意により、寮生全員、チェンマイへの遠足が実現する。
1997年10月 JICA(国際協力事業団)の農業研修旅行団がさくらプロジェクト・タイの寮を訪問し、ジャトーブー村などを視察、また寮生たちとの交流会が開かれる。
1997年11月 ~22日 郵政省ボランティア貯金の預金代表者によるさくらプロジェクト・タイへの視察がおこなわれる。さくら寮をはじめ、郵政省ボランティア貯金の配分金で運営されているジャトーブー村小学校、ホイメリアム村小中学校パラン寮を視察する。
1997年12月 歌手の五木ひろしさんがチャリティーコンサートの売り上げの1部約500万円をさくらプロジェクトに寄付。贈呈式の模様が12月30日にテレビ東京にて放送される。
1998年2月 ナムラット村にタイ山岳民族文化交流会館完成。総工費約1730000バーツ。
1998年2月18日 タイ山岳民族文化交流開館の落成式開催。資金協力は東京西北ロータリークラブ。

 文化交流会館竣工セレモニー

文化交流会館竣工セレモニー

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1998年度   ジャトーブー小学校新校舎完成


ジャトーブー小学校新校舎

ジャトーブー小学校新校舎
1998年度(タイ歴2541年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ジュリラット(ナコーイ)・バンブー(寮長ただし年度途中にて退職)
ジョイ・ロンチャイカム(寮母 ジュリラット退職後、寮長に)
ガイ(ブアパン)・アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
クリヤンカイ・サムケオ(運転手)
インチャン(ジャトーブー村小学校教員)
ナミチャ(寮母ただし途中退職)
ペッド・トラウォン(寮母)
三輪隆(コーディネーター)
さくら寮生132名
1998年4月 さくらプロジェクト・タイの公式ホームページが開設される。
1998年5月 1998年度新学期が始まる。
1998年6月27日 さくら通信第16号発行。東京・芝浦工業大学にて「第12回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1998年8月 1997年末、歌手の五木ひろしさんから贈呈された寄付金と里親の三枝令子さんからの寄付をもとに、交流会館のとなりに新寄宿舎建設に着手。基本設計図面は前回の交流会館同様、芝浦工業大学建築工学科大学院生鳥越一成と三輪が共同でおこなう。
1998年9月 静岡県の清水中央ロータリークラブよりジャトーブー村小学校新校舎建設資金として180000バーツの寄付を受ける。
1998年10月20日 さくら通信第17号発行。
1998年12月 ジャトーブー村小学校新校舎の建設着工。
1999年1月 ジャトーブー村小学校新校舎完成。総工費200000バーツ。
1999年2月13日 ~17日 第1回「さくら寮をたずねる会」(通称里親ツアー)が実施され、12組17名の里親の方々が夕刻チェンラーイ空港に到着する。
1999年2月15日 ジャトーブー村にて、ジャトーブー村小学校新校舎竣工式典開催。主催はルアミット村小学校。学校関係者、ジャトーブー村住民のほか、校舎を寄贈した清水中央ロータリークラブのメンバー15名、第1回「さくら寮をたずねる会」でチェンラーイを訪問中の里親の方々17名が参加。
1999年3月 寮生・マリサー・チャクソンダムロンがさくら卒業生では初めてチェンマイ大学)社会学部)に合格。

ジャトーブー小学校新校舎

スタッフのジュリラット・パンブーさん、支援者の浪岡雄二さんと結婚

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1999年度   しらゆり館と山岳民族資料館開館


しらゆり館

しらゆり館
1999年度(タイ歴2542年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ジョイ・ロンチャイカム(寮長)
ガイ(ブアパン)・アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
サティアン・パーンカワン(運転手ただし途中退職)
ソムケート・トラウォン(運転手)
マニー・セイハーン(寮母)
ナセ・エブ(寮母)
三輪隆(コーディネーター)
志賀宏(ボランティア)
さくら寮生148名
1999年5月 交流会館裏手に新寄宿舎・しらゆり寮が完成。総工費210000バーツ(約7000000円)。

1999年6月5日 しらゆり寮完成式典開催。建設資金の一部を寄付してくださった里親の三枝紀雄・令子ご夫妻、ユナイテッド・ヴィレッジ・スクール校長、チェンラーイ社会福祉局の局長、日本大使館チェンマイ駐在官事務所の白鳥氏らを招いておこなわれる。

1999年6月26日 さくら通信第18号発行。東京・芝浦工業大学にて「第13回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。1992年より7年間日本事務局を支えてきた高澤安喜さんにかわり、青井順子さんが日本事務局の事務作業を引き継ぐ。

1999年11月3日 11月3日から11月8日までの予定で第2回「さくら寮をたずねる会」ツアーが実施され、4名の里親の方々が参加。

1999年11月26日 さくら通信第19号発行。

2000年2月13日 東京西北ロータリークラブの支援により交流会館3階に完成した「山岳民族文化資料展示室」が開館。東京西北ロータリークラブの方々を招いてテープカットがおこなわれる。

しらゆり館

交流会館山岳民族展示資料室オープンセレモニー

2000年2月24日 清水中央ロータリークラブによるさくらプロジェクトの寮生たちのためのスクールバス(トヨタ・ハイエース)の寄贈式がさくら寮にておこなわれる。引き続き交流会館中庭にて清水中央ロータリークラブにより、合歓の木の記念植樹がおこなわれる。

2000年3月 寮生のオラピン・ペッパチャラークンがチェンマイ大学医学部看護学科に合格、ウィチャイ・セイヤーンがバンコクのタマサート大学工学部に合格。

2000年3月17日 寮生のブンタム・モンコンロートクン君(アカ族)が学期休みで実家に帰省中、村の近くの池で深みにはまり、溺死。現役の寮生ではじめての死亡事故となる。

2000年3月31日 三輪の引率で寮生代表6名(カンポン・セイチャオ、タニン・ムンチャカー、ウィタヤー・スックカセムサクン、マリサー・チャイクソンダムロン、オンチラー・セイリー、ティカンポン・ウティブンチャイ)が日本研修旅行に出発。清水中央ロータリークラブおよび里親有志のバックアップを得て、東京周辺および静岡県清水市および関東周辺にホームステイして、文化交流と研修をする。

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