リス族の子供達

さくらプロジェクト活動内容

さくらプロジェクト2000年代

2000年度   寮生初訪日、ナハ基金設立


寮生初来日
寮生初来日
2000年度(タイ歴2543年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ジョイ・ロンチャイカム(寮長)
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
マニー・セイハーン(寮母)
ナセ・エブ(寮母)
ミボ・ベチュグ(寮母)
シラ・ジャガ(運転手)
三輪隆(コーディネーター)
志賀宏(ボランティア)
堀川守正(ボランティア)
さくら寮生141名

2000年4月1日 早朝さくら寮生日本研修生一行が成田到着。

2000年4月 寮生のナハ・ジャプーさんが突発性血小板減少性紫斑病と診断され、脾臓摘出手術を受けてチェンラーイ公立病院に入院していたが、症状が改善せず、再度骨髄検査をうけた結果、再生不良性貧血であることが判明。治療法として骨髄移植にもっとも大きな希望があることを医師から告げられる。

2000年4月22日 東京・芝浦工業大学で「第14回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が開催される。訪日中のさくらプロジェクト寮生6名の送別会も開かれる。里親有志の会の提案により、「ナハちゃん救済基金」の募金活動が開始される。

ナハさん
ナハ・ジャプーさん
2000年6月9日 懸命の治療と看護の甲斐なくナハさんが脳内出血のため永眠。

2000年7月11日 さくら通信第20号発行。闘病していたナハさんのために、100人を超える支援者から約300万円の寄付金が集まり、これを今後寮生が事故に遭ったときや難病にかかったときの医療費として「ナハ基金」として役立てていくことを報告。

2000年9月10日 ラフ族の寮生ナヨー・ジャルーが膿瘍摘出手術を受け、ナハさん治療のために集まった寄付金「ナハ基金」の初の適用者となる。手術は成功し、その後ナヨは回復。

2000年12月5日 さくら通信第21号発行。

2001年1月26日 テレビ大阪の番組「ボランティア21」でさくらプロジェクトが取り上げられ、放送される。畑聰一教授がスタジオ出演。

2001年2月17日 ~23日 第3回「さくら寮をたずねる会」(通称里親ツアー)が実施される。9名の里親の方々が参加。

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2001年度   ホンオー寮オープン


ホンオー寮オープン
ホンオー寮オープン

2001年度(タイ歴2544年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ヌッチャナー(ジョイ)・ロンチャイカム(寮長)
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
マニー・セイハーン(寮母)
ナセ・エブ(寮母)
ミボ・ベチュグ(寮母)
シラ・ジャガ(運転手)
カンポン・チャオワタナーサクン(スタッフ)
三輪隆(代表・コーディネーター)
志賀宏(ボランティア)
さくら寮生148名
2001年4月6日 前年に引き続き清水中央ロータリークラブのバックアップにより4月6日から4月22日までの日程で寮生5名(チュチャート・セイリー、ウィラット・ウィセットガムワシン、マンセン・セイチャオ、ラダワン・セイハーン、ヨニ・ヤプー)およびスタッフのジョイ・ロンチャイカムの計6名が三輪の引率により、文化交流と研修の目的で日本へ出発。東京周辺、 静岡県清水市、奈良、大阪に滞在。

2001年4月21日 東京・芝浦工業大学で「第15回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が開催される。

2001年5月1日 さくらプロジェクトのスタッフおよび年長の寮生約30名がホンオー村小学校にて、老朽化した宿舎の修繕作業を開始。

2001年5月15日 ホンオー村小学校寮に23名の子どもたちが入寮。

2001年5月17日 2001年度サハサートスクサー・スクール新学期開始。

2001年6月28日 さくら通信第22号発行。

2001年10月21日 バンコク・シリキット王女会議センターでおこなわれている国際ボランティア年祭でタイのチュアイ・ブンロン副首相より三輪が「優秀ボランティア賞」の表彰を受ける。

 優秀ボランティアの授賞式
優秀ボランティアの授賞式

2001年10月23日 寮生チュチャート・セイリー(ヤオ族)がダムロン高校の最優秀生徒に選出され、新聞にも紹介される。寮生のアンカーン・レチュー(アカ族)もサマーキー中学の優秀生徒として表彰される。

2001年11月 里親の小暮克彦様の寄付により、寮内に子どもたち用の図書室が完成。

2001年11月13日 本日よりルアミット村寄宿舎建設工事が始まる。建設資金は里親の阿部周彦氏の寄付による。

2002年1月25日 さくら通信第23号発行。

2002年3月 寮生のチュチャート・セイリー(ダムロン高校)がチェンマイ大学に合格。

2002年3月30日 畑教授多忙のため、日本事務局が芝浦工大畑研究室から里親有志に暫定的に引き継がれる。新事務局スタッフは、石田公也・恵子、岡山豊・陽子、風間茂・玉美、金子泰輔、近藤鈴男・聡美、菅原範子、久富淳司・静江。畑聰一教授にはアドバイザーとして後方から支援していただくことになった。

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2002年度   ルアミット寮開寮


ルアミット寮開寮
ルアミット寮開寮

2002年度(タイ歴2545年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ヌッチャナー(ジョイ)・ロンチャイカム(寮長)
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
マ二ー・セイハーン(寮母)
ニラッチャラー(ナセ)・エブ(寮母)
アリサー(ミボ)・ベチュグ(寮母)
スティダー・ブレ(寮母)
アチャヤシット・ウィラワットポンサトン(運転手)
カンポン・チャオワタナーサクン(ルアミット村寮寮長、ジャトーブー村小学校教員)
ナミシ・ブレ(ルアミット村寮寮母)
三輪隆(代表・コーディネーター)
志賀宏(ボランティア)
さくら寮生141名

2002年4月1日 日本事務局が芝浦工業大学畑研究室から移転し、事務局長は畑聡一教授にかわって風間茂が就任し、事務作業は青井順子から久富淳司、静江に受け継がれる。

2002年5月13日 さくら寮新学期スタート。ルアミット村寮、26名の寮生を受け入れて開寮。カンポン・チャオワタナーサクンが初代寮長として就任。

2002年6月29日 さくら通信第24号発行。東京・芝浦工業大学にて「第16回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。

2002年7月4日 国際基督教大学3年生の永野りさ、インターンシップの活動として来寮。ホンオー寮にて1ヶ月間ボランティア。(8月3日まで)永野はこのボランティアが機縁となって後にJICAに就職。

2002年7月13日 さくら寮講堂(さくらー清水中央ホール)建設開始。

2002年9月8日 バンコクの社会福祉局のスタッフが、さくらプロジェクトを視察。

2002年9月12日 ルアミット村寮増築工事開始。

2002年9月17日 福岡のABCキルト・ジャパンのメンバーが、さくら寮を訪問。ボランティア・キルターが作成した約80枚の赤ちゃん用の敷布がさくらプロジェクトに託される。これらのキルトはエイズ孤児となった赤ちゃんをはじめとして、山岳民族の村の貧しい子供たちに配られる。

2002年10月20日 約1万人が参加した王母記念ドイ・トゥン市民マラソンに、社会福祉局のNGO組織代表としてさくらプロジェクトのスタッフ、寮生12名が出場。寮生のミントラー・イェルグが17歳~29歳の女子部門で5位に入賞する。

2002年10月28日 TBSテレビの新番組『世界どこでもハローワーク』の取材班が、さくらプロジェクトを訪れる。

2002年12月14日、15日 パヤオ県のシャンティ寮で、日本のNGOが支援母体になっている四つの山岳民族生徒寮(さくら寮、暁寮、シャンティ寮、パヤオYMCA)合同による毎年恒例の四寮友好スポーツ大会が開催される。

2002年12月8日 さくら通信第25号発行

2002年12月18日 里親有志による、さくら寮の子供たちを訪ねる会が実施される。

2002年12月23日 さくら寮生日本研修旅行メンバーがチェンラーイを出発。

2003年1月6日 訪日した寮生一同、さくらエコホームなどを支援している静岡市のエコ21グループの新年総会にゲストとして出席。三輪の講演および子供達が山岳民族の踊りを披露する。

2003年1月28日 三輪、タイ南部トラン県にてサカイ族の調査。

2003年2月10日 さくらー清水中央ホールの贈呈式。日本から、清水中央ロータリークラブ会長の水野一保氏ほか10名の会員が参加。

 さくらホールの贈呈式
さくらホールの贈呈式

2003年3月2日 ルアミット村さくらエコホーム開寮式。施設の建設資金を寄贈していただいたエコ21グループの鈴木社長、エコ・インターナショナルの山田社長をはじめ、社員の方々20名が参加。チェンラーイ県知事による祝辞およびテープカット。

さくらエコホーム竣工式典
さくらエコホーム竣工式典

2003年3月21日 この日を限りにホンオー寮を引き払う。ホンオー寮生たちは次年度よりさくら寮および、さくらエコホームに移転。

2003年3月25日 ルアミット村さくらエコホームの寮生スラデッド・ジャケー君がメーコック川で溺れて行方不明に。翌日遺体で発見される。

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2003年度   さくらエコホーム、新施設でスタート


さくらエコホーム
さくらエコホーム

2003年度さくらプロジェクト タイ スタッフ
ヌッチャナート(ジョイ)・ロンチャイカム(寮長)
ガイ(ブアパン)・アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
アリサー・ベチュグ(寮母)
アチャヤシット・ウィラワットポンサトン(運転手・12月まで)
カンポン・チャオワタナーサクン(さくらエコホーム寮長)
マニー・セイハーン(さくらエコホーム寮母)
カラヤー・ジャレー(さくらエコホーム寮母)
ナチュ・エチュ(さくらエコホーム寮母)
ナボイ・ジャチェ(さくら寮食事係・12月まで)
三輪隆(代表・ボランティア)
志賀宏(ボランティア)
さくら寮生143名(学期開始時)
さくらエコホーム寮生38名(学期開始時)

2003年6月12日 さくら通信第26号発行
2003年6月21日 東京・芝浦工業大学で「第17回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催される。同時に民芸品バザールも開催。顧問の畑聡一先生が特別講演。

2003年6月28日 新橋の生涯学習センター3階にて、「日本海時代の祭典」の例会の講演として、三輪がタイの山岳少数民族の生活について講演。

2003年7月9日 ルアミットさくらエコホームの横の土地約600平方メートルを村人より購入。土地売買契約を交わす。

2003年7月23日 ボランティアの永野りさ来寮(29日まで)

2003年7月26日 里親の平野靖子さんが図書購入基金200万円を寄付。

2003年8月10日 さくらプロジェクトのタイ行政サイドのカウンターパートである社会開発人間福祉省の省長のパニット女史ほか、チェンラーイの社会開発局のスタッフ十数人が視察のため来寮。予算規模に見合った支援児童の数の拡大、支援内容の充実、また山岳民族文化交流会館、とくに山岳民族資料室の開設(民族文化の保存)やさくらー清水中央ホールの建設、さくらエコホームなど諸施設の充実などが評価された。

2003年8月15日 ルアミット村さくらエコホームにて、さくらエコマート開店記念式典。来賓としてルアミット村の村長がテープカット。民芸品と寮の子供達のお菓子、日用品の販売をするエコホーム直営のミニストア。資本金30000バーツ。

2003年8月22日 法政大学法学部政治学科国際開発協力論後藤ゼミの学生11人が来寮。三輪にインタビュー。

2003年9月24日 福岡より、昨年に続き、ABCキルト・ジャパンのメンバー13人が来寮。(ABCキルト・ジャパンは、日本全国のボランティア・キルターによるキルトの布を製作し、それをアジア各国のHIVに感染した子供たちやエイズ孤児に贈る活動を展開するグループ)メーチャン地区病院やAIDS関連のNGO・ドリームメーカー、アクセスなどを視察。

2003年11月6日 里親視察団一行(近藤聡美さん、阿部周彦さんご夫妻、風間玉美さん、愛子さん母娘、原良子さん、渡辺道子さんの計7名)がチェンラーイ到着。(11月10日まで、ロイクラトンなどの祭り見学、寮生と交流をはかる)

2003年12月6日 ウィンパパオの暁寮にて、この日から2日間にわたり、第4回4寮親善スポーツ大会が開催される。さくらプロジェクトのほか、暁寮、シャンティ寮、パヤオYMCAが参加。

2004年1月12日 さくら通信第27号発行

2004年2月5日 交流会館横の土地(154平方メートル)を137000バーツで購入。契約書に調印する。

2004年2月14日 ナティ・パテの里親の伊藤憲史さん、ソンクリン・シースワンの里親の中田一弘さん、豊橋南ライオンズクラブのメンバーで社会福祉委員長の田中孝志さんほか9名が来寮。豊橋南ライオンズクラブでのチャリティ・バザーの収益金の一部(10万円)をさくらプロジェクトに寄付。

2004年2月27日 メーチャンの山岳民族開発支援センター内で行われた山岳民族文化フェスティバルに参加。さくら寮生たちも民族衣装でステージに上がり、踊りを披露。

さくらエコホーム寮生たちの登校風景
さくらエコホーム寮生たちの登校風景

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2004年度   さくらエデュケーショナル・センター完成


さくら教育センター(左)
さくら教育センター(左)

2004年度さくらプロジェクト タイ スタッフ
ヌッチャナート(ジョイ)・ロンチャイカム(寮長)
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
アリサー(ミボ)・ベチュグ(寮母)
カンポン・チャオワタナーサクン(さくらエコホーム寮長)
マニー・セイハーン(さくらエコホーム寮母)
ヌッサラー・セイクー(さくらエコホーム寮母)
テン・セイラオ(運転手・6月まで)
カンチャナ・セイハーン(さくら寮食事係)
三輪隆(代表・ボランティア)
志賀宏(ボランティア)
さくら寮生139名(新学期開始時)
さくらエコホーム寮生35名(新学期開始時)

2004年4月17日 2004年度さくら寮新入寮生選抜試験。書類選考を通過した受験生30名が一泊二日で筆記試験や面接を受ける。

2004年5月14日 寮長のスタッフのヌッチャナート・ロンジャイカム(ジョイ)が、慢性腎不全の治療として連続携行式腹膜透析(CAPD)を実施することになり、そのための準備として、スリブリン病院にて腹部にカテーテルを埋め込む手術を受ける。

2004年6月12日 三輪とカンポン、日本平ホテルで開催された清水中央ロータリークラブの15周年記念式典に参加。

2004年6月19日 東京・芝浦工業大学にて、「第18回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。49名が参加。WEBカメラを通して里親とチェンラーイの寮生たちとの交流が実現する。同時に民芸品バザールも開催。

2004年7月14日 ABCキルト・ジャパンのメンバーの10名が、バンコクで開催された国際エイズ会議への参加を機に、さくら寮を訪問。5月4日に急逝された主幹メンバー藤本喬氏の遺志を継いで、故・藤本氏の浄財、その後の募金などをもとに「たかし基金」が設立され、さくらプロジェクトに寄贈されることになる。

2004年7月20日 交流会館横にて、複合学習施設の建設はじまる。

2004年8月12日 さくら通信第28号発行

2004年10月26日 さくらエコホームの建設資金などを協力してくださっている、おなじみエコジャパン21グループ(鈴木修二社長)の傘下のひとつ(株)横浜エコハウスより、藤田社長以下社員のみなさん19名が、社員旅行の一環として、さくらエコホームおよびさくら寮を訪問。

2004年12月 さくら寮がホストとなり、毎年恒例の四寮スポーツ大会が開かれる。

2004年12月17日~23日 里親ツアー。8名が参加。

2004年12月18日 さくら寮内クリスマス会開催される。

2005年2月1日 さくら通信第29号発行

2005年3月5日 さくらエデュケーショナル・センター竣工式がエコ21グループ鈴木修二代表ほか社員のかたがた、チェンラーイ社会開発局局長、サハサートスクール理事長、校長などの来賓を迎えて執り行われる。

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2005年度   さくら教育センターがオープン


さくら教育センター
さくらエデュケーショナル・センター1階図書室

2005年度さくらプロジェクト タイ スタッフ
ヌッチャナート(ジョイ)・ロンチャイカム(寮長)

アリサー(ミボ)・ベチュグ(寮母)
ミユ・セパク(寮母)
ナチュ・リフー(さくら寮食事係)
カンチャナ・セイハーン(さくら寮食事係)
ブンチャイ・センチャン(さくらエコホーム寮長)
ナドゥ・プハー(さくらエコホーム寮母)
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
ジャガ・セイラーン(運転手)
三輪隆(代表・ボランティア)
志賀宏(ボランティア)
寮生141名

2005年4月7日~21日 寮生4名(ラッポン・ワタナソンパン、ピンパー・サックモンコンサクン、スリワン・ジャプー、ラダー・アタポンプーシット)が三輪の引率により、文化交流と研修の目的で日本へ出発。東京、岐阜、飛騨高山、豊橋などに滞在。

2005年6月22日~24日 オランダ・フルフォード基金スタッフのハリー・ミューセン氏がさくらプロジェクトを視察。

2005年8月15日 さくら通信第30号発行。

2005年11月16日~19日 ハリー・ミューセン氏がさくら寮を再訪し、フルフォード基金により2007年度から3年間のさくらプロジェクトへの奨学金の支援が決定される。

2005年12月17日~18日 パヤオ県のYMCA寮がホストとなり、毎年恒例の四寮スポーツ大会が開かれる。

2006年2月15日 さくら通信31号発行

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2006年度   ジョイさん逝く


ジョイさん逝く
ジョイさんことヌッチャナーロンジャイカムさん

2006年度さくらプロジェクト タイ スタッフ
ヌッチャナート(ジョイ)・ロンチャイカム(寮長)(7月、逝去)
アリサー(ミボ)・ベチュグ(寮母)
カンチャナ・セイハーン(さくら寮食事係)
ニラー・セイリー(さくらエコホーム寮母)
ナドゥ・プハー(さくらエコホーム寮母)
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
ノイ・ルアキットチャイヤー(運転手)
アンポン・シリパンチョンクン(寮母)
カンポン・チャオワタナーサクン(寮長)
三輪隆 (代表・ボランティア)
志賀宏(ボランティア)
岸田直子(ボランティア)
さくら寮生150名 さくらエコホーム39名。

2006年6月8日~23日 さくらプロジェクト代表三輪隆が日本へ一時帰国し、日本での滞在中、日本の支援者たちのために報告会を開く。

2006年7月8日 さくら寮寮長ヌッチャナート・ロンチャイカムが慢性腎不全とその合併症のため、2年あまりの闘病生活ののち逝去。本人の希望により、さくら寮内でお通夜が執り行われ、チェンラーイのカトリック教会で葬儀が行われる。

  ジョイさん通夜
さくらホールで行われたジョイさんの通夜

2006年8月 岐阜市のギャラリー「一休庵」にて三輪隆写真展「タイ・黄金の三角地帯―山地民の子どもたちとともに」開催。

2006年8月12日、13日 寮内スポーツ大会が開かれる。

2006年8月31日 さくら通信第32号発行

2006年11月23日、24日 チェンマイ在住のシニアボランティアでチェンマイ民族博物館の映像制作の仕事をしている日本人、長澤潔氏がさくらプロジェクトを訪問し、山岳民族の子供を題材にドキュメントを撮影。三輪およびさくらプロジェクトが取材協力。

2006年12月9日、10日 さくら寮を含めたチェンラーイ県の生徒寮2つとパヤオ県の生徒寮2つが合同になっての友好を深めるための4寮スポーツ大会がパヤオ県のサンティー寮で開かれる。

2006年12月27日~2007年1月6日 千里金蘭大学の平井和子教授、武庫川女子大学の大野佳美教授が山岳民族の栄養、食事に関しての調査をするため、さくら寮へやってくる。さくらプロジェクト代表三輪隆と寮生たちが教授を山岳民族の村々へと案内し、聞き取り調査が行われる。

2007年1月7日 チェンマイで開催中の世界園芸博覧会にスタッフの引率で寮生140人が見学。

2007年3月 大阪千里金蘭女子大学の平井和子教授の指導により、ドイメーサロンさんの梅の実を使った梅肉エキスをさくらプロジェクトで実験的に生産する活動が始まる。子どもたちの現金収入の一環として期待される。

2007年3月30日 さくら通信第33号発行

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2007年度   横浜で三輪隆写真展、第5回寮生訪日研修実施


三輪隆写真展
三輪隆写真展の会場で。訪日した寮生たちと里親の松下英子さん(中央)

2007年度さくらプロジェクト タイ スタッフ
カンポン・チャオワタナーサクン(寮長)
アリサー(ミボ)・ベチュグ(寮母)
カンチャナ・セイハーン(さくら寮食事係)
ニラー・セイリー(さくらエコホーム寮母)
アユ・セドゥク(さくらエコホーム寮母)
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
ラッポン・ワタナソンパン(運転手)
ウィラット・ウィセットガムワシン
アンポン・シリパンチョンクン(寮母)
三輪隆 (代表・ボランティア)
志賀宏(ボランティア)
さくら寮生147名 さくらエコホーム39名。

2007年4月1日~17日 さくらプロジェクト代表三輪隆が文化交流と日本文化体験のためにタンヤポーン・スパープポチャナー、デッスリチャイ・エウ、ジャルニー・ソカク(以上寮生)、カンチャナ・セイハーン(さくらプロジェクト・スタッフ)の4名を寮生日本に連れて行く。神奈川、京都、滋賀、岐阜、千葉などを訪問。

2007年4月3日~8日 横浜市の「あーすぷらざ」にて三輪隆写真展「タイ・山地民の生活と文化」が開催される。訪日中の寮生、スタッフ4名も、連日アシスタントとして会場に出向する。

2007年4月 さくらプロジェクト発起人の一人である中村清彌氏、バンコクで逝去。

さくら寮で子どもたちと話す中村清彌さん
さくら寮で子どもたちと話す中村清彌さん(2006年8月撮影)

2007年7月9日 ヌッチャナート・ロンジャイカムの一周忌、交流会館の横にジョイ・メモリアルガーデンをオープンさせる。

2007年8月13日、14日 チェンマイ民族博物館による山岳民族文化のドキュメンタリー撮影にさくらプロジェクトが協力する。ラフ族、アカ族、ヤオ族に伝わる歌垣の実演を収録する。

2007年9月16日 さくら通信第34号発行

2007年10月6日、7日 東京日比谷公園で開催されたグローバルフェスタにさくらプロジェクトも5回目の出展。三輪が今年初参加。

2007年10月13日 東京芝浦工業大学豊洲校舎にてさくらプロジェクト支援者の会合第21回「タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が開かれ、三輪が講演及びさくら寮の活動を報告する。

2007年10月14日~23日 さくら寮の男子寮生6人が学校から選ばれて、タイ国王の生誕80周年を祝う行事の一貫として出家する。

2007年12月8日、9日 さくら寮を含めたチェンラーイ県の生徒寮2つとパヤオ県の生徒寮が合同になっての友好を深めるための3寮スポーツ大会がチャンライ県ウィアンパパオ郡のルンアルン寮で開かれる。

2008年1月8日~2008年1月13日 芝浦工業大学建築工学科畑聡一教授と研究室の学生たちが山岳民族の住居調査をするため、チェンラーイ来訪。三輪が畑教授と学生たちを山岳民族の村々へと案内し、調査が行われる。

2008年3月16日 さくら通信第35号発行


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2008年度   日本事務局、畑研究室から清水研究室に


 日本事務局、畑研究室から清水研究室に
グローバルフェスタ2008に出展

2008年度さくらプロジェクト タイ スタッフ
カンポン・チャオワタナーサクン(寮長)
アリサー(ミボ)・ベチュグ(寮母)
カンチャナ・セイハーン(さくら寮食事係)
ニラー・パッソンアナコット(さくらエコホーム寮母)
ペン・ジャチョン(5月より)
タンヤラット・シースワン(6月より)
アユ・セドゥク(さくらエコホーム寮母)11月まで
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
ラッポン・ワタナソンパン(運転手)
三輪隆 (代表・ボランティア
) 志賀宏(ボランティア)
さくら寮生121名 さくらエコホーム35名。

2008年4月 さくら寮の卒業生であるタンヤポーン・スパープポチャナー、ラッポン・ワタナソンパンの2名がさくらプロジェクトスタッフに加入。さくらプロジェクトスタッフ、ラオスに研修旅行(ボーテン、ルアンプラバン)
2008年5月 新スタッフとしてさくら寮卒業生のペン・ジャチョンとタンヤラット・シースワンが加入。
2008年6月 2010年度中にひまわり館、すみれ館をサハサートスクサー・スクールに開けわたし、新寄宿舎にすべて寮生を移転する検討を開始。
2008年8月 昭和女子大学松本淳准教授の引率による初等教育科学生のスタディーツアーがさくら寮を訪問。さくら寮の子どもたちと交流をはかる。
2008年9月 豊橋南ライオンズクラブよりミシン、パソコンなどの物品の寄贈を受ける。
ミシン購入に立ちあう豊橋ライオンズクラブ会長の鈴木さん
ミシン購入に立ちあう豊橋ライオンズクラブ会長の鈴木さん(左)

2008年9月10日 さくら通信第36号発行(この号以降さくらプロジェクト・タイ事務局の編集・発行となる)

2008年10月4日、5日 日比谷公園で開催されたグローバルフェスタに参加。芝浦工業大学畑研究室の学生も参加。

2009年1月 春日部ロータリークラブ、春日部西ロータリークラブほかの寄付によりさくら寮に地下水を組み上げる簡易給水システムと貯水タンクの寄贈を受ける。1月22日に贈呈式が行われる。

2009年3月 スタッフのアリサー・ベチュグとカンチャナ・セイハーンが退職

2009年3月16日 さくら通信37号発行

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2009年度   新女子寮しみず館完成 第6回寮生訪日研修実施


新女子寮しみず館完成 第6回寮生訪日研修実施
完成したばかりのしみず館の前で

2009年度さくらプロジェクト タイ スタッフ
カンポン・チャオワタナーサクン(寮長)

ペン・ジャチョン(さくら寮寮母)
タンヤラット・シースワン(経理)
タンヤポーン・スパープポチャナー(食事)3月まで
ニラー・パッソンアナコット(さくらエコホーム寮母)7月まで
ガイ(ブアパン)アイチャー(ジャトーブー村小学校教員)
ラッポン・ワタナソンパン(運転手)
サイプレー・セイラオ(寮母)5月より12月まで
ワナサナン・サポン(さくらエコホーム寮母)8月より
シリントラー・パテ(食事)2010年1月より
三輪隆 (代表・ボランティア)
志賀宏(ボランティア)9月まで
山中俊彦(10月より)
さくら寮生 112 名 さくらエコホーム33名。

2009年4月 静岡県の清水中央ロータリークラブ寄贈による「しみず館」完成。

2009年4月22日?5月8日 第6回さくら寮生訪日研修旅行実施される。メンバーはメー・センヌワン、ナルモン・セドゥク、チンタナー・シースワンの3名。日本事務局事務局長が畑聰一芝浦工大名誉教授より清水郁郎芝浦工大准教授に引き継がれる。

2009年4月26日 第23回「タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が芝浦工業大学豊洲校舎にて開催され、三輪が活動報告および講演。

2009年8月 芝浦工業大学建築工学科清水研究室の学生、タイ・チェンラーイのラフ族の村で集落調査。さくら寮の子供たちと交流を深める。

2009年8月 新スタッフのワナサナン・サポンがさくらエコホームの寮母に就任。

2009年9月1日 さくら通信第38号発行。

2009年9月6日 三輪、さくらプロジェクト現地スタッフのタンヤポーン・スパープポチャナーと結婚。

2009年10月 ボランティア・スタッフの志賀宏が帰国し、山中俊彦が新ボランティアスタッフとして加わる。

2009年10月3日、4日 東京日比谷公園で開催された外務省主催の「グローバルフェスタ」2009」に参加。

2010年2010年3月 JICAボランティアとしてチェンラーイ赴任中の高垣彩子さんが、任務外の自由時間を利用してさくら寮の子どもに日本語指導を開始。

新女子寮しみず館内部
完成したばかりのしみず館の内部

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