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2012年後半以降は掲載準備中です。しばらくお待ち下さい。
1990年 さくらプロジェクト発足前の活動
1986年1月 三輪隆初訪タイ、これ以後タイ北部での取材、調査活動がメインとなる。
1990年9月 三輪隆他執筆・撮影による「地球の歩き方フロンティア タイ北部山岳民族を訪ねて」(ダイヤモンド社)発刊される。この一冊のガイドブックが当時、建築人類学の観点からタイ山岳民族の集落の生成に関心を寄せていた芝浦工業大学建築工学科の畑教授と三輪を結びつける機縁になる。
1990年11月 芝浦工業大学建築工学科の畑聰一教授、写真家の北田英治氏および学生数名がチェンラーイ県山地民の住居調査のため、初めてチェンラーイを訪れ、三輪を案内人としてアカ族メーモン村などの集落調査を実施。その際、三輪と畑教授のあいだでタイ山地民の子どもたちへの教育支援の可能性について話し合われる。
1990年12月 三輪隆、畑聰一助教授(当時)が東京・芝浦で会談し、三輪隆を代表に、畑聰一助教授を日本事務局長としてタイ山地民の子どもたちへの教育支援NGO組織(生徒寮の建設と運営)を発足させることで合意。寮建設の資金は、同じ頃チェンラーイの三輪のもとを訪ねてきた、東京の中村清彌氏(故人・当時株式会社日新工業社長)が提供を申し出る。中村氏は当時すでに在タイのミャンマー難民支援をはじめており、タイ北部に新たな支援の場を模索していた。
1991年3月1日 チェンラーイ県ムアン郡リムコック区ナムラット村403番地のユナイテッド・ヴィレッジ・スクールに隣接するヨハン・チェムー氏(アカ族)宅の敷地内で山岳民族の子ども達のための学生寮の建設工事が始まる。畑教授をはじめ、三輪、志賀宏、山崎久勇、芝浦工業大学建築工学科畑研究室の学生および岩崎学園の学生ら約20名も参加。当時ヨハン・チェムー氏はこのプロジェクトに賛同し、無償での土地提供を申し出た。
炎天下の中
柱を立てる
1991年度 8名の寮生でスタート、寮建設開始!
1991年度(タイ歴2534年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ヨハン・チェムー(コーディネーター)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
清水郁郎(ボランティア)
寮生8名
1991年4月 畑聰一、三輪隆、志賀宏、清水郁郎、ヨハン・チェムー氏ほか芝浦工大の学生らが寮建設中のナムラット村にて会議。この教育支援プロジェクトを「さくらプロジェクト」と命名、建設中の寮もその名前をとって「さくら寮」と名づけることに決定。
1991年5月 前年よりヨハン氏の敷地内の仮設宿舎に寄宿し、さくらプロジェクトとして援助することが決まっていた8名のアカ族の子どもたちが、第一期さくら寮生して生活をはじめる。
さくら寮生第0期生、最初の8名
なぜか立ったまま食事をしていた。
1991年6月1日 タイ山地民の子どもたちのための教育支援活動。タイ山地民の保健医療・福祉・厚生・人権のための援助活動。タイ山地民の文化・社会の調査・研究・保護活動。タイ山地民とタイ人、日本人の相互文化交流活動などを設立の目的にかかげ、さくらプロジェクトが正式に設立される。
1991年6月15日 さくらプロジェクトの活動を報告するさくら通信第1号が発行される。
同時に東京・芝浦工業大学芝浦校舎において、さくらプロジェクトの活動内容報告、タイ山地民の現況など、畑と三輪の講演を中心とした「第1回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が開催される。
1991年8月 再び芝浦工業大学建築工学科畑研究室の学生、岩崎学園の学生、そして杉野女子大学の学生ら約30名がボランティアとしてさくら寮の建設工事に参加する。
1991年9月 チェンラーイ県メースアイ郡一帯で雨期の集中豪雨による大洪水が発生。特に被害の大きかったトンプラオ村には、さくらプロジェクトとして救援活動に参加。古着、生活用品などを配布する。
1991年10月22日 さくら通信第2号発行。同時に東京・芝浦工業大学にて「第2回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」が開催される。
1992年3月 さくら寮完成。総工費608409バーツ(約350万円)。
1992年度 さくら寮開寮
1992年度(タイ歴2535年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ヨハン・チェムー(寮長)
アミ・チェゴン(寮母)
セレ・チェムー(寮母)
カニカー・カンプラスク(寮母)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
西村美紀(ボランティア)
安達英信(ボランティア)
さくら寮生58名
さくら寮の前で
1992年4月6日 さくら通信第3号発行。
1992年5月11日 さくらプロジェクト・タイ・スタッフによる初めてのミーティングが開かれる。一部の寮生が入寮開始。
1992年5月12日 さくら寮入寮日。この日よりフリーのテレビディレクター、瀬川正仁氏によるテレビ東京のドキュメンタリー番組製作のための取材が始まる。
1992年5月16日 午前9時半より、さくら寮の開寮式。ユナイテッド・ヴィレッジ・スクールのプラパン理事長、ウィチャイ校長、ナムラット村村長、そして寮建設資金提供者の中村清彌氏、21世紀農場の谷口巳三郎氏、リス生徒寮の中野穂積氏らを招いてさくら寮前でおこなわれる。幼稚園児から高校生まで58人がさくら寮のメンバーとなる。
1992年6月11日 テレビ東京系列にてさくら寮の開寮までを追った番組「さくら寮INタイ」(ディレクター・瀬川正仁氏、スポンサー・東京都)が放映される。
1992年6月19日 さくら通信第4号発行。東京・芝浦工業大学にて「第3回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1992年7月 さくら寮の二つ目の寄宿施設をユナイテッド・ヴィレッジ・スクールの敷地内に建設する許可が学校からえられ、第2さくら寮(すみれ寮と命名)建設計画がスタートする。芝浦工業大学建築工学科大学院生木村剛士を中心に同大学大学院卒業生の清水郁郎、現地カレン族の建築士の3人によってすみれ寮の設計図が書かれる。
1992年10月9日 東京で「里親の会」開催。
1992年10月30日 さくら通信第5号発行。東京・芝浦工業大学にて「第4回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1992年11月 すみれ寮設計のため1992年12月 有償ボランティアとして里親である高沢安喜さんが東京事務局の事務の仕事を受け持つ。
1992年12月3日 東京西北ロータリークラブの資金援助によるすみれ寮建設工事が始まる。
1992年12月20日 日本人中野穂積さんが運営するチェンラーイ県メースアイ郡の山地民学生寮「リス生徒寮」とのスポーツ交流大会をチェンラーイ県メースアイ郡のリス生徒寮で開催。
1993年3月6日 さくら寮で初めての入寮生選抜試験実施。35名の合格枠をめぐり、書類選考で選ばれた110名の子どもたちが受験。(以後,毎年月に入寮選考会を実施)
初代さくら寮
初代さくら寮の食堂
1993年度 すみれ館開寮
すみれ館開寮
1993年度(タイ歴2536年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
ヨハン・チェムー(寮長)
アミ・チェゴン(寮母)
セレ・チェムー(寮母)
ナコーイ(ジュリラット)・バンブー(寮母)
ジョイ・ロンチャイカム(寮母)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
清水郁郎(ボランティア)
安達英信(ボランティア)
さくら寮生86名
1993年4月1日 さくら通信第6号発行。
1993年4月 すみれ館完成。総工費約1300000バーツ。
1993年4月 郵政省に国際ボランティア貯金寄付金の交付を申請する。
1993年5月18日 夕方より学校関係者、地元住民を招き、すみれ寮開寮セレモニーがおこなわれる。さくら寮は男子寮、すみれ寮は女子寮として使用することになる。
1993年6月21日 郵政省より「山岳民族の子どものための寄宿舎建設、運営」にたいしての国際ボランティア貯金寄付金の交付先に選ばれ、郵政省(当時)でおこなわれた通知式で郵政大臣による配分決定通知書を交付される。配分金総額7695000円。(うち、ひまわり寮建設工事費675万円、寄宿舎備品購入費945000円)
1993年7月1日 さくら通信第7号発行。
1993年7月3日 「第5回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」および第2回里親会が芝浦工業大学で開催される。
1993年10月6日 国際ボランティア貯金の交付対象団体に選ばれたさくらプロジェクトの活動内容とタイ山地民の生活を写した写真数点が東京高輪郵便局で展示される。(11月1日まで)
1993年10月 30日 さくら通信第8号発行。芝浦工業大学にて「第6回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1994年2月1日 三輪隆、プラパン・タサニヤコーン氏(ユナイテッド・ヴィレッジ・スクール理事長)、建築工事実施業者の3者でひまわり寮建設工事に関する契約書に調印。
1994年2月2日 ひまわり寮建設工事始まる。
1994年2月24日 チェンラーイ県にあるアカ族の村メーモン村で村の家屋、家畜のほとんどが焼失する大火災が発生。同日、さくらプロジェクトから小原靖弘が現地を視察。米、古着などの配給支援の準備を開始。
1994年2月25日 三輪およびさくらプロジェクト・タイ スタッフのジュリラット・パンブー、芝浦工業大学建築工学科大学院生の神田淳、さくら寮の寮生2人がメーモン村への救援物資を届けるため車をチャーターし、米約1.5トンを積みメーモン村に向かい、山地民福祉局を通じて、村人たちに配布、支給する。
1994年3月7日 三輪、ジュリラット・パンブー、小原靖弘の3名がジャトーブー村に出向き、ジャトーブー村地域の管轄であるルアミット村小学校校長とジャトーブー村における小学校分室設置問題について懇談。
1994年3月20日 さくらプロジェクトが20000バーツの資金援助をし、木材、竹、茅などを用い、村人たちによってジャトーブー村に校舎の建設が始まる。
1994年3月25日 郵政省貯金局・国際ボランティア貯金推進室の小林良和氏がひまわり寮建設現場を視察。
郵政省ひまわり館進捗状況を視察
1994年3月31日 ルアミット村小学校ジャトーブー村分室完成。1994年度 ひまわり館開寮、ジャトーブー村小学校支援開始
1994年度(タイ歴2537年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
アミ・チェゴン(寮長)
ナコーイ(ジュリラット)・バンブー(寮母)
ジョイ・ロンチャイカム(寮母)
ナド・ヤパー(寮母)
センサク・アイ(ジャトーブー村小学校教員)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
清水郁郎(ボランティア)
中野学(ボランティア)
さくら寮生97名
1994年4月1日 さくら通信第9号発行。
1994年4月20日 アカ族のセンサック・アイを常勤の教員、さくらプロジェクト・タイのスタッフでもあるラフ族のジュリラット・パンブーを非常勤の教員兼小学校の責任者とし、ルアミット村小学校ジャトーブー村分室に派遣することを決定する。
1994年4月 ひまわり寮完成。総工費約1500000バーツ(675万円)。
1994年4月 郵政省に国際ボランティア貯金寄付金の交付2件を申請。
1994年5月 さくらプロジェクト元スタッフのヨハン・チェムー氏にさくら寮の施設が譲渡される。ヨハン氏はさくらプロジェクトを離れ、独自に寮運営をすることになる。初代さくら寮の施設はのちに「若竹寮」と改名される。
1994年5月 ひまわり寮がオープンし、旧さくら寮の男子生徒がすべてひまわり寮に移る。新年度の寮生は97名に。
1994年5月10日 チェンラーイ県社会福祉局とチェンラーイ県メーチャン郡にある山地民福祉局からジャトーブー村小学校がルアミット村小学校分教室としての認可を受ける。
1994年6月20日 ジャトーブー村小学校開校。生徒数は46名。
建設中のジャトーブー村小学校
1994年6月 郵政省国際ボランティア貯金寄付金申請分2件のうち、チェンラーイ県ジャトーブー村における小学校の建設及び運営に関する1件の申請が認められ、運営資金が郵政省より配分される。配分金総額740000円(うち、教育費274000円、教員人件費493000円)
1994年7月1日 さくら通信第10号発行。東京・芝浦工業大学にて「第7回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1994年7月9日 里親の谷正直氏が経営する奈良市内のペンション「奈良倶楽部」にて関西在住の支援者を対象に三輪隆の講演会とさくらプロジェクトの報告会。
1995年1月 阪神大震災発生。ボランティアでさくら寮に滞在中の中野学の実家が被災。
1995年2月 三輪、テレビ朝日「ネイチャリング・スペシャル」のタイ・ロケのコーディネーターとしてチェンラーイ県のホイサン村、ナーン県などに同行。リス族、ムラブリ族の集落で通訳を行なう。
1995年3月 中野学、1年間の体験ボランティア生活を終えて帰国。
1995年度 郵政省視察団来訪
1995年度(タイ歴2538年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ
アミ・チェゴン(寮長)
ナコーイ(ジュリラット)・バンブー(寮母)
ジョイ・ロンチャイカム(寮母)
ナヘ・ジャヘラー(ジャトーブー村小学校教員 ただし年度途中で退職)
シティチャイ・ジャヘラー(ジャトーブー村小学校教員 ただし年度途中で退職)
ガイ(ブアパン)・アイチャー(寮母ただし年度途中よりジャトーブー村小学校教員)
三輪隆(ボランティア)
小原靖弘(ボランティア)
さくら寮生99名
1995年4月 郵政省に国際ボランティア貯金寄付金申請。
1995年6月 郵政省国際ボランティア貯金寄付金申請が認められ、ジャトーブー村小学校運営費として資金が配分される。配分金総額71500円(うち、教育費123000円、給食費100000円、教員人件費372000円)
1995年6月24日 さくら通信第11号発行。東京・芝浦工業大学において「第8回タイ山岳民族の暮らしを考える夕べ」開催。
1995年6月30日 滋賀県大津市の田上中学校で三輪がさくらプロジェクトの紹介をテーマにした講演会を開催。
1995年7月1日 滋賀県大津市の西光寺で、関西の里親、支援者を対象とした三輪の報告会、講演会が開催される。
1995年8月 ジャトーブー村小学校台所建設開始。
1995年8月6日 チェンラーイ県メーチャン郡にある山地民福祉局の研修所で山地民の女性たちによって縫製された学生服をさくらプロジェクトで買い取り、ルアミット村小学校ジャトーブー村分室の生徒に配布。
1995年8月24日 ジャトーブー村分室の給食室完成。
1995年9月1日 ルアミット村小学校ジャトーブー村分室で子どもたちへの昼の給食支援開始。
ジャトーブー村小学校教員のガイさん
1995年11月12日~13日 郵政省貯金局、NGO活動推進センター、そして預金者を代表する自治体首長からなる郵政省ボランティア貯金援助プロジェクト視察団がチェンラーイのさくらプロジェクトを訪問。チェンラーイにあるひまわり寮、すみれ寮およびルアミット村小学校ジャトーブー村分室などを視察。
1995年11月26日 ユナイテッド・ヴィレッジ・スクールのグランドで周辺の6つの山地民学生寮対抗球技大会が開かれ、さくらプロジェクトが総合優勝。
1995年12月3日 さくらプロジェクト生徒寮とリス生徒寮との親善スポーツ大会がユナイテッド・ヴィレッジ・スクールのグラウンドでおこなわれる。
1996年 1月 チェンマイ県メーアイ郡にあるラフ族のドイレム村への水道敷設計画がまとまる。
1996年2月1日 さくら通信第12号発行。
1996年3月 さくらプロジェクト中学3年卒寮生20名がバンコク、サメット島へ卒寮旅行。バンコク在住の里親、白子富三郎さんも同行。(白子さんは1997年8月、バンコクにて逝去される)
1996年度 ホイメリアム小学校支援開始、ドイレム村に水道設備
ホイメリアム小学校パラン寮の子どもたち
1996年度(タイ歴2539年)さくらプロジェクト・タイ・スタッフ1997年度 文化交流会館完成
文化交流会館
1997年度(タイ歴2540年)さくらプロジェクト・タイ スタッフ文化交流会館竣工セレモニー
1998年度 ジャトーブー小学校新校舎完成
ジャトーブー小学校新校舎
スタッフのジュリラット・パンブーさん、支援者の浪岡雄二さんと結婚
1999年度 しらゆり館と山岳民族資料館開館
しらゆり館
交流会館山岳民族展示資料室オープンセレモニー